【フジテレビアナウンサーの容姿いじり】愛があっても上手くてもいじりはダメだという話

フジテレビの新人アナウンサーである上垣アナが、先輩アナや他の出演者からいじられるという3ヶ月ほど前の映像に、インフルエンサーによって拡散されたことをきっかけに批判が殺到している。

X上では、上垣アナをさんまさんが「いじっている」(普通に著作権違反な)TV映像が大バズリし、「愛のあるいじり」などの表現で絶賛されていたが、いじりに対する感じ方は人それぞれだと思う。私自身は、良くも悪くも「いじられキャラ」として見られるような特徴があるわけではないため、実は人生の中でいじられた経験がほとんどない。しかし、もし誰かにいじられたとして、それが芸人のように巧みないじりや愛情のあるものだったとしても、あまり嬉しいとは思えないだろう。そもそも、純粋にいじられることを喜んでいる人は本当にいるのだろうか。

確かに上手いイジりや愛のあるいじりであれば、いじられた結果として場が和んだり、芸人なら仕事に繋がったりと、そこに利益や達成感が生まれることもあるだろう。しかし、そのようなメリットがあるからいじりを受け入れ、喜びに変えられるだけで、純粋にいじられること自体が好きな人がいるかは疑問だ。例えば「デブだけど周囲が上手くいじってくれたおかげでコンプレックスが武器になった」と語る人もいるが、実際には「役に立ったから受け入れているだけ」で、本当は傷ついている可能性もあるのではないか。

その意味で、場合によっては上手ないじりのほうが、受け手にとって却ってやっかいなこともあると思う。悪意がある下手ないじりであれば、はねのけることに純粋な利益があるが、巧妙ないじりだと、受け入れるほうが得だと感じてしまう。特に芸能人などは、芸人からの「上手ないじり」を断るのは難しいだろう。断ってしまうと、周囲からは「親切なコミュニケーションを拒否した」と捉えられ、仕事を失いかねない。今回話題になったアナウンサーのようにテレビ出演が初めての場面ではなおさらだ。

もちろん、さんまさんが悪意を持っていじりをしているわけではないとは思うし、この「いじり」も彼がテレビに求められた役割を果たしているだけなので、さんまさんを非難するべきではない。しかし、今後テレビに出ないという選択肢を取れる「素人いじり」とは違い、社会人1年目の社員が、これから長く働くことになるかもしれない職場で、大御所芸人から容姿に関して「悪意のないいじり」をされたとき、それを跳ね返せるかと言うと、なかなか難しい気もする。

「いじられキャラ」を武器にすることを選択して生きている人間もいる以上、もしかしたら上垣アナウンサーも今後「いじり」を受け入れてキャリアを積もうと考えているかもしれないし、そもそも「いじり」対してになんとも思っていないかもしれないので、彼個人の感情を勝手に推し量ってあれこれ邪推することにはなんの意味もないと思うが、一般論として、「いじりが上手い」ことは「いじられても嫌ではない」ことに直接的に繋がるわけではないことを、芸人さんのいじりを賞賛する人々に理解してほしいとも思う。