表紙に対して報酬を支払うことは本当に漫画家のためになるのか

表紙に対しても報酬を支払うべきだという漫画家の主張が話題になっている。

個人的に発端となった漫画家の話が事実であれば、契約を守らない会社側が悪いとは思うが、それらに続いた全ての漫画家が表紙に対して報酬を受け取るべきだという論については、私個人としては否定的な感想を抱いているし、「はじめの一歩」作者である森川先生が必ずしも報酬を貰う必要はないという主張をしたことでXで炎上しているのを見て、同情の念を抱いている。(絶対報酬をもらっちゃいけないとは言ってない、業界の仕組みを説明しているだけなのに可哀想じゃないですか?)

個人的に違和感を持ったのは出版社を悪と断じ、漫画家の権利を守ろうということを安易に主張する当事者や漫画ファンが多かったことだ。

中にはサラリーマンの残業問題や、アニメーターなどの待遇と並列にこの問題を捉えている人まで居たが、それらは比較対象にはなり得ないのではないだろうか。

例えば私は、ゲームクリエーターやアニメーターの労働環境を改善すべきだという意見には賛同するが、それは彼らが会社に雇われた労働者だからである。

対して漫画家はほとんどが雇用されて働いているわけではないので、全てが自己責任というつもりはないものの、労働者と同じ権利を主張するのと全く同じ方法で解決を図ることは、かえって彼らを守っていたフリーランスとしての優位性を失わせ、待遇を悪化させることに繋がってしまうと考える。

私は漫画家の皆さんを本当に尊敬しているし、少しでも多くの報酬を得て欲しいとは思っているが、この尊敬は他の「普通の会社員」や「普通のブルーカラー」の人々に対するものと同じものでしかない。

漫画事業は漫画家さんの利益だけを追求するためのビジネスではないはずなので、私も含めた外野の人間は、あまり漫画家視点に寄って「より多くの」報酬を求めるのではなく、業界全体を見て「適正な」報酬が支払われることを主張するべきだと思う。

一連のXでの議論の中で、「勝手に書いているなら、表紙を書かなくてもいいのか?それだと出版社が困るだろう。」という意見を見かけたが、それは、「出版社が装丁をおろそかにしたり広告を打たなくてもいいのか」という主張と同じであり、水掛け論にしかならない。

ただこの意見をした人に同情するところがあるとすれば、恐らくもとになっているであろう森川先生の「勝手に表紙を書いているだけ」という趣旨のポストの表現のまずさである。

個人的に森川先生の「勝手に」という言い方は理屈としては間違っていないと思うが、感情を逆撫でしやすい言葉でもある気がする。

私はどちらかといえば「厚意で」という表現の方が正確だと思う。小説の表紙のイラストレーターのようにイラストを受注したわけではないので代金はもらえないが、代わりに売上が上がればインセンティブとして印税の額も上がる。

現状出版社は不良在庫が発生しても赤字を負担し、デザイナーを雇ったり外注して本をデザインし、広告や営業までを「厚意で」やっている。

これらは極論を言えばやらなかったり予算を下げても「売上が下がるだけ」で済む部分であり、その理論で言えば、漫画家も別に「厚意で」表紙を書いているだけなので、書かなくても問題はないとは思う。

しかし、「厚意」の割合で言えば出版社の方が負っていることが多いにも関わらず、もし漫画家が表紙に対して代金を請求するなら、理屈上は広告費などの負担を請求されてもおかしくないことになってしまう。

Xには「なあなあ」で表紙を書かされているのがおかしいという主張をする人が多くいたが、その「なあなあ」を互いに行うあうことでビジネスとして成立しているのも、事実ではないだろうか。

このことを踏まえると、現状の漫画家の先生方が主張する「表紙にも代金を請求したい」という話は、ただの「報酬を上げてほしい」という主張でしかないと思うのだが、そんなものは個人事業主ならば各自の契約次第で決めるべきことであり、各漫画家が個人事業主として働くことを選んだ以上、企業に対して自ら働きかけていく必要があるということでしかない。

そして、出版社もただの一企業であり、無限に資金があるわけではない。彼らは慈善事業で出版をやっている訳ではなく、漫画家よりも多様な人々、社員や取引先、流通業者などの生活を支えている立場なので、外野から個々の出版社にどうこう言うことへの大義はないし、もし取引先以外の企業の契約や業界全体の契約も変えていきたいと言うのなら、業界構造そのものを変えていくしかない。

個人的には業界構造を変える事による不利益も大きいと思うが、今のXは「部費を上げてくれ」一点張りの高校生の部費会議みたいな状態になっており、建設的な主張がなされているとは思えない。

業界構造の根本的な解決を目指す方法として、私は3つの選択肢があると思う。

1つ目は「表紙を書かない。改めて依頼してほしい」と主張することだ。

他のイラストレーターや代替手段と比較された結果発注される形になり、小説の表紙と同じ理屈で代金を受け取ることができるが、出版社が他のイラストレーターに発注したり、将来的にAIイラストが著作権的な問題をクリアした時、それに代替されたとしても文句は言えないだろう。

表紙は、装丁や広告と同様、予算をかけるほど出版社のコストが増すものである。そのため費用を出さない限り豪華にすることによるメリットしかない漫画家側ではなく、基本的には負担を負う出版社が手配するのが筋だろう。

しかし企業である以上、よりコストが低い方に流れるのが自然であり、書くこと自体にブランド的価値があるような大御所や人気作品を除けば、より単価の低いイラストレーターを探して表紙を書かせるという文化が定着しそうな気もする。

2つ目は、漫画家を月給で雇用する会社を作り、その会社のやり方を業界のスタンダードにしていくことだ。

これにより、ゲームクリエイターやアニメーターと同じように、雇用されるためには一般的な就職活動が必要となる。

そして、給料制になることで表紙などの追加作業も含めて仕事をした量に応じた料金を貰える代わりに、企業としては同じ給料を払うなら赤字になりそうな漫画より人気になりそうな漫画を書いてほしいと考えるため、より会社の指示に沿って漫画を書いていく形態に変化していくはずである。

契約内容にもよるが、ゲームクリエイターと同じように作品の権利は主張できなくなり、後々、ゲーム業界で起きているような、退社後に作品が作れなくなる問題に直面するかもしれない。

また、あくまで会社員なので、ゲーム業界における桜井政博さんや小島秀夫さんのように自分で会社を立ち上げない限り、ヒットすれば大きく稼げるという環境ではなくなっていくだろう。

3つ目は、圧力団体を作ることだ。ハリウッドの脚本家団体のように、ギャラ交渉を行う団体を作ることで、漫画家の待遇を改善するように主張することができる。

しかし、交渉先の企業としてはコストが増えるため、駆け出しのクリエイターが仕事を受けにくくなるといった問題も生じるかもしれない。

正直なところ、漫画業界はモラトリアム的な性質があることで、「夢のある」職業としての魅力が保たれている側面があると思う。

もし、ゲーム業界のように就職のハードルが上がると、誰でも目指せる職業からは遠ざかり、安定した労働環境や保障と引き換えに、アメコミのような分業化や平準化が進むだろう。

それが本当に良いことなのか、そして「労働者と同じ権利を主張する」ということが、「普通の会社員に近づくこと」だと理解している人がどれだけいるのか、私には分からない。