「嫌ならやめろ理論」は教員に適用されるのか

「愚痴を言うくらいなら教師を辞めれば良い」は正しい?

親が元教員であり、一時期は公務員を目指して公務員に関する法律を学んでいたことがある者として、見過ごせないポストをXで見かけた。

社長業を務めている人物による「教員が望んでこの職に就いたのだから待遇や職場環境に関して文句を言う意味が分からない、辞めるなり抗議するなりしないのは、むしろ教師不足を招くことで抗議しない彼らが加害者である」という趣旨の投稿である。

しかし、この意見は教員の実態と大きくずれているように思う。

確かに、適性がないなら早めに見切りをつけて別の職種に移るべきだし、待遇に不満がある他の職場に転職するべきだという考え方は、民間企業においては一理ある

しかし、愚痴をこぼしている多くの教員は、仕事そのものではなく待遇に不満を抱いているのではないだろうか。

むしろ、現在教員として働いている多くの人々は、その仕事に強い誇りとこだわりを持っているように思う。

父の元同僚の方たちを見ても、お金や待遇のために教師になった人たちは、退職して民間に転職したり、教師としての仕事をおろそかにしており、投稿者が退職すべきだと考えているような人物像の人たちは既に教育現場を去っているのだと思う。

少なくとも「社長」が言うことではない

例えば、過疎地域の医者を志す人がいたとして、金銭的なメリットがないにもかかわらずその地に赴くその人に対して、望んで来たのだからお金は必要ないと判断するのは、間違った考え方だ。

熱意があるから待遇に我慢しろというのは、少なくとも社長のような使用者の側が言うことではない

また、教師は専門職であり、総合職や一般職とは異なり、辞めた後に同じ仕事を他の職場で行う選択肢が取れない

私立のようなパイの小さな職場に入るというレアケースを除いて、サラリーマンのように同業他社に転職して解決するという手段が取れないため、「嫌ならやめろ」という考えは、教員の場合、単なる職場の変更とは異なる意味を持つ

また、その方のリプライを見る限り、公務員には団体行動権が認められておらず、ストライキができないこともご存知なかったようだ。

理解が薄い事柄に対して、「加害者」というような強い言葉を使う人が、社長として従業員と真摯に向き合うことができているのか、疑問を抱かざるを得ない。